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概要

日米開戦の正体

55 第一章 真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか?ルーズベルトは参戦を望んでいます。しかし、そのためには「アメリカが直接攻撃を受ける」必要があります。(4)真珠湾攻撃当時の外務省北米課長だった加か 瀬せ俊とし一かずは、「第一撃を射させるような立場に日本を追い込むこと、これがなかなか難しい」の言葉を引用開戦当時、東とう郷ごう茂しげ徳のり外務大臣の秘書官兼政務局六課(北米担当)課長と、渦中にあった加瀬俊一は次のような記述を残しています。「十一月二十五日のスチムソン陸軍長官の日記には『第一撃を射させるような立場に日本を追い込むこと、これがなかなか難しい』」スチムソンという人物は、戦前の歴史で最も日本との関係を持った人物です。後の章で見ていきますが、ロンドン軍縮会議で若わか槻つき禮れい次じ郎ろうに大幅譲歩をしました。また日本の満州占領に対して軍事行動を厳しく非難する「スティムソン・ドクトリン」を公表しました。第二次大戦の積極的介入論者です。◎H・L・スチムソン(一八六七‐一九五〇)政治家。弁護士出身。連邦検事を経て一九一一年、W・タフト政権の陸軍長官となる。二九年、H・フーバー政権で国務長官に就任。ロンドン海軍軍縮会議では米代表を務める。日本の満州事変に反対し、「不承認政策」を唱えた。四〇年、陸軍長官に復帰。原爆開発計画(マンハッタン計画)を監督したことでも知られる。写真提供/毎日新聞社