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概要

日米開戦の正体

58力の莫大なる優位とわれわれ民衆の性情とに鑑かんがみ、その結果は日本に対して破滅的であることはほとんど必定であった。東條大将政府にとって(略)より賢明であり、より安全な路線は、オランダ側に加える圧迫によってインドネシアの石油を獲得する動きであり、必要であれば、日本が使し嗾そうして支持するインドネシア革命によってオランダ人を駆逐することであったろう。ワシントンにおいては、内閣と陸海軍はみな、予期される南方進出にいかに対処すべきかについて意見が分かれていた。(略)世論調査は、議会または一般大衆が、南太平洋における外国の植民領土を防守するための戦争を支持するかどうか疑わしいとし、そして、いかなる支持も一致したものではたしかにないだろうと報告した」そしてアチソンは、日本のパール・ハーバー(真珠湾)攻撃を次のように結論づけます。「これ以上の愚策は想像もできなかった」この当時、「インドネシア石油確保のときには米国は苦しい」とする見解はどこまで日本の上層部にあったでしょうか。インドネシアの石油を直接獲得するという作戦は、一応、検討はされています。及おい川かわ古こ志し郎ろう元海相は「〔永なが野の(修おさ身み)提督(軍令部総長)が語ったところによれば、フィリピンを素通りして南方資源地帯に出る計画が、一九四一年に作成されたという。どのような論議が行なわれたか、との問いに〕あなたのいう論議は、わたしが海相をやめた(訳注。一九四一年十月)のちに行なわれたと思います」と述べています(『開戦の原因』)。この点に関しては当時の軍令部作戦課長・富とみ岡おか定さだ俊としは次のように述べています。