ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

日米開戦の正体

62那)・D(オランダ)包囲網をしいて、日本をじわじわ圧迫している。このままにしていれば、日本は滅亡するほかはない。この包囲網によって日本がジリ貧になるより、思い切って戦争をやれば、勝利の公算は二分の一である。危険ではあるが、このままで滅亡するよりはよいと思う」この東條陸相の論理がどうであるかは、後で検討したいと思います。クレマンソー元首相は日本の美術に特別の関心を持っていたようです。クレマンソーが収集した香合約三〇〇〇点が、一九五九年、シマール(Simard)という人からモントリオール美術館に寄贈されています。クレマンソーの発言は彼の親日的態度と関係しています。ここに見られるように、東久邇宮殿下は戦争に反対です。かつ、東條と対たい峙じすることも辞さない姿勢です。実は近衛首相が辞職したとき、東久邇宮殿下を首相にする動きがありました。結局これを断ったのが、昭和天皇と木き戸ど幸こう一いち内大臣でした。東久邇宮稔彦殿下は一八八七年生まれ、昭和天皇は、一九〇一年生まれです。東久邇宮殿下を首相にする動きを木戸内大臣と昭和天皇が潰した、その原因は込み入っているので、後で詳細に記述したいと思います。もし、東久邇宮殿下が首相になっていれば、間違いなく真珠湾攻撃を実施していなかったと思います。ここでもチャーチルの「あの命令がなかったならば、◎昭和天皇(しょうわてんのう/一九〇一‐一九八九)第百二十四代天皇。名は裕仁(ひろひと)。一九ニ六年即位。大日本帝国憲法では陸海軍の最高指揮官(大元帥)に規定される。満州事変、日中戦争など軍部の行動に懸念を示したが、手続きに則った上奏は立憲君主として裁可。日米開戦に当たっては詔書を発した。敗戦時、ポツダム宣言受諾を決定(御聖断)。写真提供/毎日新聞社