ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

日米開戦の正体

63 第一章 真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか?とか、あの攻撃がなかったならば」という言葉が当てはまります。十一月二十九日、重臣会議で若槻禮次郎、近衛文麿、岡おか田だ 啓けい介すけ、米内光政、広ひろ田た 弘こう毅き と五名の元首相は開戦に反対である旨、天皇を前に発言しています一九四一年十一月五日、御前会議で日本は「十二月初頭の武力発動を目途に戦争準備を促進する」という方針が決定されています。ただ、元首相などの重臣の意見を聞くべきだとの天皇の言葉で十一月二十九日に重臣会議が開催されました。ここでの発言を「木戸日記」を引く形で『大東亜戦争開戦経緯(5)』(防衛庁防衛研究所戦史室著、朝雲新聞社)が掲載しています。陛下より大変難しい時代になったねのお言葉あり、若槻直ちに之に奉答した。〔孫崎注:若槻禮次郎は一九二四年から二六年首相。三〇年のロンドン海軍軍縮会議で首席全権になった際、「骸骨が大砲を引っ張っても仕方がない」と国力と調和した軍備を訴え、右翼から攻撃されている〕若槻:わが国民は精神力においては心配なきも、物資の方面におい◎木戸幸一(きどこういち/一八八九‐一九七七)宮中政治家。木戸孝允(たかよし)の孫。京都帝国大学卒業後、農商務省入り。一九一六年、貴族院議員となる。四〇年に天皇側近である内大臣に就任、国政の実権を握る。戦争末期、「国体護持」のため和平に腐心。聖断によるポツダム宣言受諾を実現した。A級戦犯として終身刑に処せられるが、病気のため仮釈放。写真提供/毎日新聞社