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概要

日米開戦の正体

69 第一章 真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか?真珠湾攻撃のときの答えは次の記述にあります。一九四一年に外務省のアメリカ局長として日米交渉に従事していた寺てら崎さき太た郎ろうは著書『れいめい』(中央公論社)で次のように記述しています。人臣を極めた故近衛公はある日、シミジミと私にこう述懐した。「寺崎君。ひとは僕を総理大臣という。それはまさにそうだ。しかし、現在の日本をホントに動かしているものは、総理大臣であるこの僕ではなく、陸・海軍の軍務局長だよ」残念ながら、まさにその通りの当時であった。「中央公論」一九九五年六月号は、「『戦後50年の生き証人』に聞く⑥」の標題で、四よつ元もと義よし隆たか氏と田た原はら総そう一いち朗ろう氏の対談を掲載しています。四元氏は血けつ盟めい団だんの一人として暗殺行為に加担し日本の政党政治の終焉に貢献し、戦後は中曽根康やす弘ひろ氏の「陰の指南役」と噂されました。彼はこの対談の中で、近衛について同じような証言をしています。田原 四元さんは、近衛さんと親しかったそうですが、近衛さんはあの戦争でどういう役割を果たされたんですか。四元 担がれただけで、内心では「戦争はいかん」と思っていたでしょうね。それは陛下も同じだった。陛下と近衛さんは不離一体だったから。田原 昭和天皇も近衛さんも戦争はいけないと思いながら、止めさせることができなかっ