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概要

日米開戦の正体

71 第一章 真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか?しいと書くのが本当ですよ。佐藤毅(海軍省軍務部員):勝つつもりでやってる訳ですよ。(略)開戦不可避という状況だったんですね。保科善四郎(兵備局長):永野さんはね、御前会議で勝つって言うたよ。(略)三代一就(軍令部作戦課航空主務部員):それはですね、昭和十六年の末です。(略)高松宮さんがですね、軍令部の一課に来られまして、(略)私はですね、今の日本海軍の航空兵力ではですね、(略)必ず負けますと、(略)こう言って申し上げたらですね、それは大変じゃないかと言われて、早速高松宮様が、陛下にお目にかかって、海軍としてはですね、戦争負けると、少なくとも航空に関しては勝てないんだと、こうおっしゃったんですね。陛下は、どういうことかと、それなら永野を呼べということになって、永野さんが陛下のところに呼ばれた訳なんです。それで、陛下は、高松宮がこう言うんだがどうなんだ、と。永野は、いやぁそれは大丈夫ですよ、そんなことはありませんと、言ってだまかしたんです。そういう人です。「日本が内乱になる」まで行かなくとも、開戦に反対すれば、暗殺の対象になることは十分考えられます。永野修身は、一九四一年四月九日に海軍の軍令部総長に就任しました。◎永野修身(ながのおさみ/一八八〇‐一九四七)海軍軍人。軍令部次長などを歴任後、海軍大将(一九三四年)。翌年のロンドン海軍軍縮会議では全権として脱退を通告。海軍大臣、軍事参議官などを経て一九四一年四月から四四年二月まで軍令部総長として海軍作戦を指揮。真珠湾攻撃を支持した。戦後A級戦犯に指名されたが、獄中で病死。写真提供/毎日新聞社