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概要

日米開戦の正体

80みしていた。寺崎太郎が「そのうちのあるものは、戦後、百八十度の転換をし、今は平気で、アメリカさん全盛の今の世の表面を闊歩している」と言っている「あるもの」の代表が牛場信彦氏です。戦後、牛場氏は外務次官、駐米大使を歴任しました。さらに、吉よし田だ茂しげるは「英米派」として軍部と対たい峙じしていた人物と見られますが、幣原外交から軍部の強硬派路線に切り替えた田たな中か義ぎ一いち首相のとき、自ら自分を売り込み、田中義一外交を支え、満州での軍の使用を主張していました。吉田茂は軍部と密接な関係にあった人物です。そして、戦後は首相となり、米国と緊密な関係を持っています。なぜこんなことが起こるのでしょうか。それは日本人の行動として、そう不思議な現象ではないのです。主義主張よりは「勢力の最強なものと一体になることを重視する」。第二次大戦前の軍部と仲良くする、欧州で権勢を誇ったヒトラーを崇拝する(この点では吉田茂は反対の立場を取っています)、戦後は米国と一体になる、これらの行動は「勢力の最強なものと一体になる」という視点に立てば、何の矛盾も出てきません。すでに『戦後史の正体』で書いたことですが、トルーマン大統領は次のように記述しています。「マサチューセッツ大学の総長コンプトン博士は(日本から)帰国した後ホワイトハウスに来て