ブックタイトル仕事に効く 教養としての「世界史」

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概要

仕事に効く 教養としての「世界史」

23 第1章 世界史から日本史だけを切り出せるだろうかものでしょうね。敗戦処理をしなければいけない中で、衣装展の説明にあったように、唐や新羅を強く意識して馬鹿にされないように拓跋部に合わせた乗馬服と机と椅子で応対したのです。鹿鳴館そのものです。舞踊会をやらないと欧米に馬鹿にされる。それで駒場の衣装展の続きを見ていくとどうだったか。時が流れて唐が怖くなくなると、わが国の貴族たちは考えはじめました。「どうやら唐も衰え始めたようだから、もう怖くない。湿度の高い日本で、ぴちぴちの乗馬服を着て机と椅子の生活はしんどい。もう脱いでもええやろ」と、ゆったりした服を着て、畳に座って、リラックスしていった。それを国こく風ふう文化と呼んでいる。この衣装展には本当にびっくりしたのですが、天てん智じ 天皇、天てん武む 天皇以降の白鳳時代や奈良時代は、そういう文脈でとらえるべき時代だと思うのです。『古事記』や『日本書紀』も、俺たちはちゃんとした歴史のある立派な国なんだと唐に読んでもらうために書いたものだろうと思います。馬鹿にされたくない、対等なんだということを言いたい。そういう時代背景の中で、日本は拓跋国家のことを必死で調べたと思います。遣唐使も当時は前の遣唐使が帰ってこないのに次を送っているのです。いかに情報が欲しかったか、です。でも大陸の情報はいろいろな商売人からも入ってきます。別に遣唐使でなくても、いろいろな情報は入ってくるわけで、奈良の都に住んでいた人の6割から7割は外国人とその子