ブックタイトル仕事に効く 教養としての「世界史」

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仕事に効く 教養としての「世界史」

26良であったと見て、ほぼ間違いはないでしょう。ここで話を最初に戻すと、もし日本史だけを勉強していたら、武則天のことや新羅の二人の女王のことは学ばない。日本史だけを見て、「この時代は女帝が多いな、男の子が病弱だったのかな」ということになって、そこで思考が止まります。けれども、そうではなくて、奈良時代に女性があのように頑張れたのは、周辺世界にロールモデルがあったからだと僕は思うのです。いったん讃良が道を開けば、安あす宿かべ媛ひめ(光こう明みよう子し )を含めて、後に続くことは容易だったに違いありません。ちなみに、ここでは詳述は避けますが、日本のスタートアップにかかわるキーパーソンは、讃良、藤原不比等、光明子の3人だったと僕は思っています。そうすると世界史から日本史だけを切り出せるのだろうか、という考え方が生じてきます。ポルトガル船が漂着したから、種たね子が 島しまに鉄砲が伝来したのか鉄砲は、1543年に、種子島に漂着したポルトガル人が伝えたと言われています。しかしいまは研究が進んで、倭わ 寇こうの親分でもあり、博はか多た 商人とも親交のあった王おう 直ちよくという中国人の船に、ポルトガル人が乗って種子島にやって来た、ということが明らかになっています。そのあたりのことを考えていきたいと思います(なお、倭寇とは13世紀から16世紀に