ブックタイトル僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

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概要

僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

15   第1章 終戦を疑え(1941年~ 1947年)■戦後はいつまで続くのか?『広辞苑』は「戦後」について、「戦争の終わったあと。特に、第二次大戦の終わったあと」と定義する。これは一見すると明快だが、ある重要な点を説明していない。すなわち「戦後」と呼ぶべき時代は、いつまで続くのかという点である。「戦後」を単純に「第二次大戦の終わったあと」とするならば、この戦争が終わった一九四五年以後(※)は、永遠に「戦後」と見なさねばならない。第三次大戦でも勃ぼつ発ぱつしたら話は別かもしれないが、少なくともそれまではずっと戦後なのだ。他方「戦後」を、「戦争による被害からの復興を果たすことが、国や社会の主要な課題となる時代」と定義することもできよう。その場合、日本の「戦後」は、敗戦から一〇年にあたる一九五五年あたりで終わっている。一九五六年の『経済白書』は、復興需要が経済を引っ張った時期は過ぎ去ったことを根拠に、「もはや戦後ではない」と主張した。ところがわれわれは、どちらの定義も本当には受け入れていない。まえがきでも触れたように、日本では一九五六年以後も、時代の節目となりそうな出来事が起こるたびに「戦後の終わり」が論じられてきた。一九六四年の東京オリンピック開催、一九七〇年代前半における高度経済成長の終しゆう 焉えん、一九九一年のバブル経済崩壊、一九九五年の阪神淡路大震災などが、その代表例として挙げられる。