ブックタイトル僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

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概要

僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

  16にもかかわらず、われわれは戦後が永遠に続くものと見なしてもいるのだ。これを端的な形で示したのが、二〇一一年三月に発生した東日本大震災(および、福島第一原発の事故)にたいする人々の反応と言えよう。今回の震災を「国難」、つまり国家規模の非常事態と見なす点では、人々の反応はみごとに一致する。こんなに深刻な「国難」が生じたのは、一九四五年、第二次大戦に敗れていらい初めてだという点についても同様であった。しかるにこの後、震災のとらえ方は二つに分かれる。第一は、これが(今度こそ正真正銘の)「戦後の終わり」だというとらえ方。第二は、これが「第二の敗戦」だというとらえ方である。二つのとらえ方が、根本から相反するのに気づいただろうか? 東日本大震災が「戦後の終わり」なら、戦後は二〇一一年三月をもって、決定的に終わったことになる。以後の時代をどう呼ぶかはともかく、それが「戦後」でないことだけは間違いない。けれども震災が「第二の敗戦」なら、続いて来るのは「第二の戦後」ということになる。戦後は二〇一一年三月をもって、あらためて一から始まるのだ。第二次大戦いらいの非常事態が生じてなお、これで戦後が終わったのか、あらためて始まるのか、われわれは分からないのである! いや、「第二の敗戦」と「戦後の終わり」が矛盾することすら、ほとんど自覚されていないのではないだろうか。