ブックタイトル僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

ページ
28/36

このページは 僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された の電子ブックに掲載されている28ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

  26 ─占領の開始直後に来日したジャーナリストたちは、日本には敗戦による反省の兆候がまったく見られないと指摘した。これは日本人の終戦観を、的確に言い当てている。日本人は敗戦について、深く検討もしなければ、真剣に反省もしなかった。同時に日本人は、あるべき日本の未来像についてのイメージも欠いていた。「祖国再建」や「平和日本の建設」などのスローガンは、確かに謳われている。しかし、その具体的内容は明確でなく、ゆえに「戦前と戦後は違うんだ」という断絶の自覚も薄かった(上巻、二〇三?二〇四ページ)。「過去の日本との断絶の自覚」が薄いということは、「戦後」が「戦前」を否定するものになると見なされていなかったことを意味する。後に護憲派の大物となる作家・大おお江え健けん三ざぶ郎ろうなど、一〇歳で敗戦を迎えたものの、自分の住んでいる村の人々が武装して、全世界と戦う様子を夢見ていたらしい。■「終戦記念日」という二重の大ウソ「ニューヨーク・タイムズ」紙も、一九四五年九月二日の社説でこう書いた。「日本人は敗北の事実を受け入れたようには見えるが、その意味を認識しているかどうかは問題である。(中略)どうも彼らには〝負けた〟という謙虚さが足らない」(週刊新潮編集部『マッ