ブックタイトル僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

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概要

僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

31   第1章 終戦を疑え(1941年~ 1947年)だが戦後日本で見られるのは、たんなる「戦前の否定・反省」ではない。「本当は戦前を否定も反省もしていないのに、深く否定・反省しているふりを続け、そのことに気づきもしない」というキテレツな現象なのだ。戦後という時代に、「終わったのか続いているのか分からない」、あるいは「終わったように見えるたび、また新しく始まる」特徴が見られるのも、こうなると必然にすぎまい。本当のところ、日本人が戦前を否定も反省もしていないとすれば、戦後は始、ま、っ、て、す、ら、い、な、い、ことになる。けれども日本人は、戦前を深く否定・反省しているふりを─つまり「戦後が始まった」というふりをしてもいる。始まっていないものを、あたかも始まったかのごとく扱っているのだから、終わりが見えなくても不思議はない。そう考えるとき「戦後の原点」とは、一九四五年八月十五日の敗北宣言でないのはもちろん、同年九月の降伏文書調印でも、翌年十一月の新憲法公布でもない。「戦前を否定・反省しないまま、否定・反省するふりをしてみせ、そのことに気づきもしない」という、屈折した振る舞いが国全体に定着したことこそ、真の原点なのだ。この振る舞いがなぜ定着したかを理解するのが、戦後史を知る出発点である。重要なカギとなるのは、「戦後最高の知性」とも謳われた、評論家・劇作家の福ふく田だ恆つね存ありの言葉であろう。