最愛の妻を失った主人公が号泣する場面で
『ほかならぬ人へ』は終わります。
この小説はそこからスタートし、
かつて夫を失った主人公が、やはり号泣します。
二つの涙のあいだに渡した橋が、
今回の作品ということかもしれません。
白石一文
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直木賞受賞作『ほかならぬ人へ』から14年。出会いの神秘を問う白石恋愛文学の到達点。

かさなりあう人へ

白石一文

Story

おなじ 光を みていた

「あなたのせいで万引きと間違えられてるの。あなたが三日も帰って来ないから」
 込み入った事情は不分明だが、俺はことさら丁寧に男に頭を下げる。
「うちの妻が、どうやら誤解をさせるような行動を取ったようで……」(本文より抜粋)

スーパーの人気商品を盗んだ野々宮志乃は、万引きGメンから声をかけられる。咄嗟に志乃は、店の駐輪場にいた箱根勇に、「あなた」と夫のごとく呼びかけた。勇は反射的に夫婦を装い、志乃を助けて……。
夫に先立たれた40代販売員の志乃と、不倫が原因で離婚した50代会社員の勇。親しげな言葉を交わすようになったふたりは、断ち切れぬ絆を感じる。傷を抱えた大人たちが辿り着いた場所とは――。

夕暮れを染める一瞬の光が、ふたりを結び付けて離さない。
成熟した男女が行き着くのは、後悔か、希望か。至高の愛を描く恋愛小説。

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Message

あの一瞬、あの一言。すべてはあなたにつながっている。たったひとりの「あなた」に届くように書きました。白石一文

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Interview

2009年『ほかならぬ人へ』で、運命の相手との出会いを描き、第142回直木賞を受賞した白石一文さん。デビューから一貫して、世界の構造や人間の営みといった壮大なテーマに、小説というかたちで挑み続けてきました。そんな白石さんが男女の恋愛を中心に据えて、人とのつながりを、個人の歴史へと昇華した作品が、本作『かさなりあう人へ』。恋愛小説のひとつの到達点ともいえるこの作品について、白石さんの思いをうかがいました。(文/編集部)

――デビュー以来、多くの恋愛小説を書かれています。『ほかならぬ人へ』から14年になりますが、姉妹編ともいえる作品を執筆したきっかけは。

白石一文さん(以下、白石) この十数年で、男女の関係は大きく変わりました。『ほかならぬ人へ』を書いた2009年頃は、「運命の赤い糸」がまだ信じられていて、この世界のどこかに自分にぴったりの人がいるという人生のテーマを、いきいきと描くことができました。SNSの影響が今ほど大きくない時代ですから、人とつながりたければ、目の前にいる人と、太く濃く、しっかり関わる必要がありました。孤独をいやすためには、誰かがそばにいないとならなかったわけです。
 ところが今はちがう。SNSの普及で、どこのだれとも知れない人が、自分の小さなつぶやきに「いいね!」をしてくれます。本当の意味での孤独はなくなって、常にだれかとゆるくつながっている状態になりました。そうやって簡単に、広く薄くつながれるようになった今、孤独を動機とした恋愛は、至上命題ではなくなってしまった。恋愛がメインストリームではなくなった現代において、あえて恋愛小説を成立させようとしたら、どんなことが起きるのか。太い絆について書いてみようと思いました。

――白石さんにとっても、恋愛観の変化があったということですね。

白石 『かさなりあう人へ』の主人公は、50代と40代の一組の男女です。僕が歳を取ったから、それにあわせて年齢を引き上げたというわけではありません。ある程度経験を積んだふたりを主人公にしたのは、恋愛と結婚がイコールではないように描くため。僕は結婚というのは、子孫を残す生殖活動と切り離せないと思っていて、その行為自体には物語がないんですよ。そこで『かさなりあう人へ』では、生殖を経験したふたりに、そこからいったん離れてもらおうと考え、少し上の年齢設定にしました。書きながら、恋愛は40歳を過ぎてからするものだという思いを強くしましたね。
 人間も動物ですから、生殖活動を切り離してなお、男女のつながりには肉体的な接触が必要だと思うんです。僕が心配しているのは、SNSのような薄っぺらい人間関係だけで一生を生きていくのは、限界があるのではないかということ。人間というのは、対人関係のなかでのみ自分を認識できる生き物です。たったひとりで生きていると思う人もいるかもしれませんが、誰とも関わらない生き方なんて実際にはありえませんから。その意味で人は、そのときどきの相手との関係性において、自分を変化させながら生きています。つまり相手を鏡のようにして、自分の姿を映し出しているわけです。

――SNSなどの「つながり」は、鏡にはなりにくいということですか。

白石 自分を映す鏡としては、心許ないでしょう。アイドルの「推し活」もそうですが、一方的な関係では、自分をきちんと映すことはできないと思います。向き合っていない鏡に、自分の姿は映りませんから。
 相手に映る自分の姿から自身を知るということは、人間は、情報でできているとも言い換えられますね。人が変われば鏡も変わり、映る自分の姿も異なります。そうやって自分のバージョンを変えながら人と向き合うこと、その連続こそが、生きていくことだと思います。今、目の前にいる人と、過去に付き合った人はまったくの別人。けれどもその人たちに映る自分というのは、まぎれもなくひとりの自分です。かつて出会ってきた人々の中にいる自分が数珠つなぎになって、今の自分がいるのだと僕は考えています。
 現代特有のつながり方は、目の前に生身の人間がいませんから、見ている対象に自分が映りません。したがって永続性があるとはいえないんです。鏡の少ない人生では、いつかどこかで自分を見失い、破綻してしまうのではないかと不安になってきます。

写真 ©浅野 剛

――前作『ほかならぬ人へ』とのつながりはありますか。

白石 『ほかならぬ人へ』は、運命の人と結ばれる純粋なまでにまっすぐなラブストーリーです。ラストで主人公の宇津木明生は、最愛の人である東海倫子を亡くして、号泣します。『かさなりあう人へ』では、大切な人をなくした人が、そのあとどう生きていくのかを書こうと決めていました。人を失ってからの人生が、ずっと「余生」だなんてことはありません。その後の人生でも新たな出会いはあって、前の人と今度の人とはどうちがうのだろうとか、次こそはうまくやろうとか、いろんなことを思うはずです。大切だった人を忘れてしまうのではなく、その人を思い出し、過去の人々を重ねながら、今、目の前にいる人と会っている。折り重なる出会いの蓄積が、今の自分を作っていることを『かさなりあう人へ』で描きました。

――印象深いタイトルですが、あと少しくわしく教えてください。

白石 たとえば、人生を一本の線だとして、過去から今にいたる人生のさまざまな場面に、いろいろな種類のお餅が置いてあるとします。僕はその時々にあるお餅にふれながら生きてきました。餅の形や色はちがっても、ふれている自分は変わりません。餅のやわらかさに、深い愛情を感じたりもします。僕の中にはいくつものお餅が積み重なっていて、それは僕自身でもあるという。なんで餅を例に出しちゃったんだろう(笑)。
 ともかく、僕の場合はヘテロセクシャルなので、正確には餅ではなく、ふれる相手は女性ということになります。夜眠るとき、あたたかい手を握ることのできる幸福。現在、隣で眠る人の以前にも、ぬくもりを与えてくれた人たちがいました。僕が生きてこられたのは、こうしたあたたかいたくさんの手があったからで、だから今もその手を握っていられる。そう考えると、今、そばで手を握ってくれる人に、深い感謝と愛情を感じます。この手がなければ生きてはいけないと。

――どんな人に読んでもらいたいですか。読者の方々にメッセージをお願いします。

白石 『ほかならぬ人へ』を読んでくださった方々はもちろん、ある程度の人生経験を積み、年を重ねた読者にぜひ読んでもらいたいです。『かさなりあう人へ』の箱根勇と野々宮志乃には、つらい過去があり、熱に浮かされたような恋愛はしません。静かに、光に引き寄せられるようにして出会い、関係を深めていきます。本作では「光」ですが、そうした何らかの「しるし」は、みなさんの人生においてもきっとあるにちがいありません。ふたりの奇跡のような恋愛に、みなさんのいくつもの出会いの歴史を重ねていただけたら、うれしいですね。

Review

ラストで「かさなりあう人」の意味を突き付けられた時の、
胸をえぐられたような衝撃に、いつの間にか涙があふれだして止まりませんでした。

(岩瀬書店富久山店プラスゲオ 吉田彩乃さん)

人と人とのつながり、心の重なりが、かぐわしく熟成した、
味わい豊かなワインのような恋愛小説。
読後、清々しい新しい風に包まれました。

(紀伊國屋書店福岡本店 宗岡敦子さん)

出会いからじれったいほどにゆっくりと理解しあってゆくふたり。
おとなだからこそ、臆病で慎重。
おとなだからこそ、心の奥の奥にある悲しみをひとりで抱えて生きてきた。
そんなふたりのラストシーンに心が震えた。

(有隣堂藤沢本町トレアージュ白旗店 
小出美都子さん)

たくさんの恋を、いたみを、喪失を経た大人たちの恋は、
思うがままでいようとしてもどこか臆病で、いじましい。
泥臭い歩みが最高にスタイリッシュに感じるのは、さすがの白石一文。

(未来屋書店有松店 富田晴子さん)

偶然と必然によって紡がれた運命。
思いもよらぬ奇縁によって動き出す人生。
弾けては溶けあう男と女。恋の遍歴がその人を形成する。
ままならない日々を生きる原動力は、誰かを想う気持ちなのかもしれない。
全編から感じる光の移ろいもまた素晴らしい。

(ブックジャーナリスト 内田剛さん)

いつも、どこかでつながっている……。
そんな“絆”を感じられる人との出会いはまさしく運命というものか!?
ウマが合うとか合わないとか、不思議と相性というのはあるもので、
気付けば寄り添っていてくれる。
そんな些細なことがいちばんの幸せなのだとあらためて気づく。

(本の王国グループ 宮地友則さん)

Profile

白石一文(しらいしかずふみ)

1958年、福岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。文藝春秋勤務を経て、2000年『一瞬の光』でデビュー。09年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で第22回山本周五郎賞を、10年『ほかならぬ人へ』で第142回直木賞を受賞。他の著作に『道』『松雪先生は空を飛んだ』『投身』など多数。

写真 ©浅野 剛

かさなりあう人へ

白石一文

四六判ハードカバー
定価 : 1980円
ISBN : 978-4-396-63652-4

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ほかならぬ人へ

白石一文

祥伝社文庫
定価:681円
ISBN:978-4-396-33810-7

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