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 | 新書 なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか 著者名:牧野知弘 | 
 | 2011-03-23 tsunokenさん 東京都 つぶれないというよりは仕事をしていないからつぶれようがないのだ。
『なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか』(牧野知弘著/祥伝社新書/2011年2月10日刊)
町の不動産屋は「売買益」を求めて一生懸命仕事をしていないからつぶれないのであり、「売買益」を求めると一生懸命「機を見て」仕事をしなければならなくなり、そうなると「機を見る」ことに失敗して倒産せざるをえなくなるということなのだ。
つまり、この本は「不動産で儲けようと思ったら売買益ではなく運用益で稼げ」ということを言っているのだ。
取り敢えず、目次から;
序章 ふたたび「危機」といわれる不動産業
第1章 不動産で儲ける2つの道
第2章 不動産投資は、ギャンブルなのか?
第3章 なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか?
第4章 「サラリーマン大家さん」のススメ
第5章 「土地は裏切らない」ということを、もう一度考えよう
ということであり、要は「町の不動産屋がつぶれない」というテーマで書かれたのは第3章の全24ページにすぎない。その他は、すべて売買益を求める不動産業がバブルの時に如何にしてつぶれたのか、三井不動産や三菱地所はなぜつぶれないのか、ということに費やされている。そして、その理由は簡単。三井不動産や三菱地所は「土地は買うものであり、売るものではない」ということに徹したから。
結局、売買益を求めて不動産に手を出すということは、より大きな儲けを求めるために売り時を逃すことになり、そこで大損をするということになる。ということは、しかし、売り時を逃さず「売り逃げ」をしてバブルで大儲けをして、バブル崩壊の際にはしっかり売り抜けて儲けている会社もあるということである。一方で大損をする会社がある以上は、もう一方で大儲けをする会社もあるというのが資本主義であるのだから、そういう関係になるのだ。それはそれ、「2割は大儲けをして、6割はそこそこ、2割は大損をする」というギャンブルの常識がそこにもあるわけですね。まあ、バブル崩壊の時には「2割は大儲けをして、残り8割は大損」という構図かもしれないが。
これは株も同じこと、株の場合はだいたい損切りが出来なくて失敗する。株価が下がってどんどん名目安になるのに、いつまでたっても「いや、これから上がるかもしれない」といって手放せなくなり、そのまま破滅への道を突っ走る。株で儲ける人はだいたいこの「損切り」がうまい人なのだ。株の場合は最後は紙くずになってしまうのだから、損が少ないうちに逃げ切る。
土地の場合は逆。地価が下がって「これじゃあ借金が返せない」といって、あわてて売りに走り、だいたい失敗する。ところが土地は紙くずになることはない。とにかく頑張って持ってれば、いずれ地価の下落は収まる。その後は反昇するかと言えば、残念ながらそんなこともなくても、紙くずにならない以上、運用益は求められる。取り敢えず、たいした利益にならなくても運用することによって多少の利益を出しながら、時を待つということだろう。
三井不動産や三菱地所はそうして「買うだけで売らない」で、ひとつひとつは小さなものだけれども、大々的に所有した土地の運用益によって稼いでいるのである。
そこで、なぜ町の不動産屋はつぶれないのか? つまり、彼らのほとんどは売買益で商売はしていないで、運用益から入るわずかな手数料がその収入のほとんどであり、基本的にはつましい生活をおくりつつ、たまに手に入る売買益のおこぼれをボーナスとして受けるという商売をしているからなのだという。
なるほど、さすがに元三井不動産の人のいうことは正しいのだな。と、ここで考えたのだが、そんな土地をも買えない人はどうすればいいのだろう。「金を借りて」土地を買わなければならない人にとっては、やはり厳しい資本主義の世界ではある。
しかし、皆が皆、土地を欲しがるというのは何故だろう。実は、皆が自分の土地を持ち始めたのは戦後の高度成長期になってからのことである。それまでの戦前の日本社会では土地は基本的には「借り物」であり、そんな借地の上に自分の家を建てたのである。世の中には広大な土地を持った「地主さん」がいて、年間僅かな地代をとっていたのである。地代は僅かであり、そんなに生活を苦しめるようなものではなかった。家も小さなものだった。それで十分生活はできたのであり、それで不満は出なかった。
もはやそんな生活は出来ないのかな。
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