2013-05-06 小澤知之さん 神奈川県 今から15年ほど前に静岡の曲金北遺跡で古代道路が発掘されたことを
目の当たりにしていましたので、この本を手にしてみましたが、その
古代道路を中心軸にして静岡平野に広大な条里区画が作られていた
ことを知り、大変驚きました。
さっそくこの本を頼りに静岡の地を自転車で旅してみました。
まず中心となる古代道路は、現代では東海道新幹線にほぼ沿った位置
となります。その線を西に延長してみると、どうやら安倍川右岸の
「佐渡(さわたり)」の山を目印にしているように思えました。
また東にずっと走って行き、清水区内で北に向かう条里区画をたどって
行くと、山に突き当たるところに「豊由氣神社」がありました。ここは
条里の時代より前からあったようですから、条里区画を決める際の
目印になったのかもしれません。
また静岡平野の条里区画図を見ると、江戸時代にできた駿府城の外堀の
南と東の角がそれぞれ条里区画と一致しているように見え、築城の際の
位置決めに何らかの影響を与えたのかもしれません。
あらためて静岡平野の地図を見ていると、現代でもあちこちに条里区画が
そのまま残っているような地域がみつかり、また、そうでない地域もあり、
それは時代の変遷を感じさせます。しかもこの本に書いてあるがごとく、
静岡平野においてもなぜか新しい道が作られるごとに、古代の条里区画に
より近づくという現象が起きているのです。旧東海道に対する国道1号線、
さらにそれに対するバイパス道路であったり、東海道本線に対する新幹線
であったり。この本のおかげで、古代以前から現代にかけて、各時代の
人々がどのようなことを考えて道路を作ってきたかということについて
とても想像が膨らむこととなりました。
さらに先の東日本大震災において、津波が江戸時代の街道のすぐそばまで
しか来なかった、という事例があります。実際、東海道の吉原宿(富士市)や
白須賀宿(湖西市)は津波の被害を受けた後、内陸に移転したという記録が
あり、条里の時代からどのように現代の道筋に変遷してきたかを知る
ことは、とても意義があることのように思えます。
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