2021-07-20 butanさん 東京都 纏向遺跡は180年~350年頃のヤマト王権の王都であり、崇神・垂仁・景行の3人の大王がここでヤマト王権の支配地域を広げていった。九州にまで支配を広めた景行天皇が活躍したのは4世紀前半の纏向遺跡繁栄の最後の時期に重なる。ヤマト王権が九州に支配を広げたのが4世紀だとすると3世紀に倭国を統括していた卑弥呼率いる邪馬台国は、大和にはありえず、九州にあったということだ。氏の主張はとても明快で説得力がある。しかし、日本書紀には暦の問題がある。古代天皇の長寿問題は日本書紀の信憑性そのものを疑う重要な根拠になっている。春秋暦を古代天皇に適用するとまさにこの時期が3大王の在任期に重なるので氏の主張は正しいと思うが、崇神・垂仁・景行天皇の治世が纏向遺跡の年代と重なるという氏の根拠を是非示して頂きたいと思う。そうすれば、日本書紀の信憑性が高まり、邪馬台国九州説の正しさがもっと広く認められると思う。
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