2010-07-19 高校球児さん 埼玉県 自然が持つサイクルを自分の中に組み込む、今までの私にはない感覚だった。必死に白球を追った高校時代。試合終了、私はしばらくそこで止まっていた。‘これだ’というものも見つけられず、ただ過ぎていった日々。サイクル(回す)という感覚がなく、そこには終わりという文字しかなかった。確かに、全力を出しきったとても貴重な時間だった。しかし、そこから動けなくなった。そうは言っても、7,8割でやるわけにはいかなかった。その後止まってもいいから、100%出し切りたかった。きれいに咲いた花は枯れてしまった。しかし、「サイクル」、花はまた咲くものだった。私は、7、8割で回さなくても、全力でぶつかり朽ち果てても、また咲くことこそが自然のサイクルだと思う。
著者とは異なった意見ではあるが、この本から自然のサイクルを学ぶことができ、自然を意識することで生活が豊かになることを知った。
たくさんの心にしみる言葉の中から、一節を取り上げ異見を唱えて申し訳ないと思う。ただ、やはり私はまた自分の100%を出し切れる存在を探し、ぶつかっていきたい。なぜなら、また栄養を蓄え起き上がれるという自然のサイクルを知ることができたから。今、ひまわりが精一杯咲いているように。
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