1987年から2017年まで、瀬戸内寂聴さんが編集長を務めていた冊子、『寂庵だより』。
『寂庵だより』から寂聴さんの随想を収録した書籍がシリーズで発売!
自分の新聞があったら、自分の意見を発表できると考えていた寂聴さん。
自分の道のりを記録すると同時に、多くの人に呼びかける場を作りたいと思ったのではないでしょうか。それが『寂庵だより』となりました。超人的な仕事のかたわら、31年間にわたり個人の新聞が出せたというのも驚異的なことです。
ここには、寂聴さんの飾らない素顔が詰まっています。
これはもう、生きすぎたケジメをつけなければならぬ時がきたと覚悟を決めた。決めたものの、その実行が以前のようにさっさと出来ないのである。遺書も書けていないし、身辺整理も何一つ出来ていない。このままでは死にも出来そうにない。
(「生きすぎたケジメ」より)
源氏物語が大ブーム、初めての本格的な文学全集の刊行など、
寂聴さんにとって充実した時代ともいえる、1998年から2007年までの随想を収録。
明日は何が起こるかわからないのだから、そこに美しいもの、
愉快なものが待ち受けていると思う方が、今夜の眠りは安らかである。
(「知らぬ月日」より)
変わりゆく時代を、先生の随想から感じることができる。
ただ一つ変わらないもの、それは先生の思想である。
いつどんな時でも、先生は作家として書き続けるのをやめなかったし、
命の尊さを伝え続けてきたのだ。
先生がどこにも遠慮せずに書き綴った想いがここにある。
(解説 瀬尾まなほ「変わりゆく時代に、変わらない先生の強い想い」)より
出家後13年が経ち、64歳の時に自ら編集長となって『寂庵だより』を創刊した寂聴さん。
シリーズ完結となる第三弾の本書は、寂聴さんがこれからは仏教者として、人々の苦悩に耳を傾けて生きるという、強い決意の言葉が綴られています。
災害、戦争など世界が激変した時代、60代半ばから70代にかけての随想を収録。
本来人間は孤独だという認識を持てば、
大方の困難には耐えてゆかれる気がする。
孤独だからこそ、人は他者の孤独の淋しさを思いやることができるのだ。
(「犀の角のように」より)