シリーズ第五巻『菩薩花』発売記念
今村翔吾先生特別インタビュー

 

ぼろ鳶組を最後まで書き上げたいという想い

羽州ぼろ鳶組シリーズ第五巻『菩薩花』の発売おめでとうございます。一年と少しという短い期間で、同じシリーズを五冊も刊行したわけですが、率直な今のお気持ちを教えてください。

 ありがとうございます。この一年間はとにかく必死でした(笑)。作品を出すことが出来ても、人気が出なければシリーズはそこで終わる。それくらいは解っているつもりです。私はこの物語を結末までおおよそ決めていて……。私を作家としてスタートさせてくれた、源吾たちぼろ鳶組の面々を最後まで書き上げてあげたい。多くの方々の目に触れなければ、そのチャンスさえない。その思いは強くあったので、少しでも早く書き上げたいと思っていました。
 内容に関しては、ある程度決まっているので、悩むことはそれほどありませんでしたね。
それでも、刊行のペースに関して言えば、納得していません。まだまだ書けるだろうと、常に自分に語り掛けています。実際、この五冊以外にも長編だけでも三冊分書いていたりします。今は書きたいものが沢山あり、形にする時間が足りていないという感じです。

執筆に対する強い意思を持っていただけるのは嬉しいかぎりです(笑)。でも、ちょっとは休憩してくださいね。

 偉そうなことを言っていますが、一巻が書店に並んだ時は跳び上がるくらい嬉しかったですね(笑)。五冊も出させていただいていてもその感動は薄れず、今でも毎回ニタニタして書店を訪れています。
 一度だけ電車で「火喰鳥」を読んで下さっている方をお見かけしたことがあるのですが、「ありがとうございます」と危うく声を掛けそうになりました(笑)。

実際に読者にお会いすると感動が増しますよね。では、羽州ぼろ鳶組を執筆するにあたり、大変だったことはありましたか? 火消の習慣や組織など、普通には知りえないことがたくさんあると思うのですが……。

 火消に興味を持ったのはデビューの二年前、小説家を志して間もなくのことです。「なんじゃこりゃ!」と、思わず声に出してしまったほど、火消には様々な種別の火消、おかしな習慣、現代では考えられない矛盾があることを知りました。これを書くと面白そうだと思ったのですが、同時に江戸時代これほど人気の職業だったのに、ほとんど書かれていない題材だということにも気づきました。となると、きっと書きづらい何らかの理由があるはず……。
 考えて私の至った結論は、火消の敵である火事がどれも大差がない、ということです。現代の消防ものならば建物の大小、高低、まだバリエーションはあります。しかし江戸時代には二階建てが僅かにあるだけ。だからといって城を燃やす訳にもいきません。つまりすぐにマンネリ化してしまうのだろうな、と。
 でも諦めずに調べていくと、意外な発見があったんです。江戸時代から現代に至るまで、火事の原因で最も多い理由が「放火」であるということ。つまり、その裏には様々な人間ドラマがあったはずだと思いました。だから私は火消と火事を通して人間を書けば、この小説は成り立つと思ったんです。

なるほど。放火にいたった動機や心の動きに注目した、ということですね。そこから火消について勉強を始めた、と。

 東京・四ツ谷にある消防博物館に行ったり、文献もかなり集めました。今もずっと勉強しています。まだまだ作品に書いていないおかしな風習、耳を疑うような火付けの話もあります。これは書くつもりがないのでここで話しますが、ある若い姉妹が怨恨から屋根に上って、火を付けたという事件があります。思わず「お前ら、くノ一か!」とツッコミたくなります(笑)
 ともかくこの手の話は山ほどあるので、今後の作品でそれも書いていければ、と思っています。


未曽有の災害にも立ち上がろうとする東北人の強さに触れた

これは本当に嬉しいことだと思うのですが、羽州ぼろ鳶組の国元・新庄市の方々から、熱例に応援いただいています。なぜ、羽州を国元として選んだのでしょうか?

 まずシリーズがいつ終わるのか分からない、もしかしたら『火喰鳥』が私の生涯で唯一の著作になるかもしれない……。出し惜しみしたくないし、してる場合やないな、と。なので江戸三大大火の内、江戸文化が花開いている頃で、明確な犯人が分かっている「明和の大火」から書こうと決めました。江戸中が燃えている中、主人公が自分の管轄だけ守っていては話が作れない。ならば管轄を無視する「方角火消」しかなかろうと。さらにその中で最も貧しい藩を書こうと思いました。
 家で武鑑(編集部注:大名や旗本の氏名・石高・俸給・家紋などを記した年鑑)を開き、方角火消はどこかと探すとそこに「戸沢家」の名が……。この戸沢家新庄藩は、当時でも有名な貧乏藩だということを知りました。しかも新庄藩は方角火消を通常の三期分ほどやらされているんです(笑)。鳶を雇わなければならないし、火消道具は消耗品だったりもするし、金がかかるんですよ。
 つまり、これは幕府が火消として高く買ってたのではないかと、と。もしくは苛められていたか (笑)。

きっとぼろ鳶組みたいに、憎まれたり愛されたりだったんでしょうね(笑)。

 実際、その両方の側面があったみたいです。それで、ここしかないということで元々あまり詳しくは知らなかった新庄藩について調べ始めました。
 もうひとつ。私は東日本大震災以降、南三陸町というところと縁を頂き、何度も脚を運ぶ機会をいただきました。これまで苦難の歴史を何度も乗り越えてきて、未曽有の災害にも立ち上がろうとする東北人の強さに触れました。出来れば東北の諸藩がいいなと思っていました。そういう意味でも新庄藩との出逢いは運命的だったと思っています。
 国元の方々の熱烈な応援には身が引き締まる思いです。今年は新庄まつりにも伺うことが決まっています。皆さんのエネルギーを受け取って、より熱い小説を書ければと思っています。

さて、魅力的なキャラクターが多数登場するシリーズですが、特に思い入れのあるキャラクターは誰でしょうか? また誰かモデルとして、イメージされた方はいらっしゃるのでしょうか??

 読者の方のお声を聞いていると、今シリーズでの一番人気は何といっても深雪。二番手に新之助かなという感じです。この二人のやり取りを書いている時は楽しいです。
あと、私が書いていて最も気分がいいのは辰一。私の想像を超えて無茶苦茶するので(笑)。
 それぞれに本当に甲乙つけがたいほどそれぞれに思い入れがあります。源吾のような主役はもちろん、まだ少ししか出ていないですけど「野狂」のような謎のキャラクターまで。書いている時はそのキャラクターになり切っているので、きっと一橋とか悪役を書いている時は悪い顔になってるはず。
 モデルがいるキャラクターもいます。彦弥なんかはその代表で、私がダンスを教えていた時の生徒ですね。物凄くチャラいんですけど、根は熱い男で、どこか憎めない。あとはお七ちゃん、お琳ちゃん。加賀鳶の清水陣内、福永矢柄なんかもモデルはいたりします。
 基本的に個性的なキャラクターを考えるのが好きみたいで……。今回の「菩薩花」で番付表を付録にしました。載ってるのは総計38人ですが、出すことが決まっていない火消もいます。それでも私の頭の中にはそれぞれのキャラクターが出来上がってます。
 深雪は私が女性にときめいた瞬間を繋ぎ合わせて出来ているかもしれません。本当に理想というか……。深雪が作中で言った台詞の中には、実際に自分が言われた言葉もちょこちょこあります。そういう意味では、私は素敵な女性に巡り合ってきたんだな、と実感してます。深雪が干し芋が好きなのも、ある女性からきてます(笑)。

時々郵送物に同封してくれるので、先生が干し芋が好きなんだと思ってました(笑)。では、主人公・松永源吾のモデルはいるのでしょうか? やはり今村先生ご自身ですか??

私をよく知る古い友人からは「よく似ている」と言われることも。自分が書いているので似てくるのは当然かもしれません。しかし源吾は私が「あの時こうしておけばよかった」という後悔している局面で、逃げず諦めずに突き進んでいくんです。そういう意味では私の理想の男とも言えるかもしれません。
 でもそれでは完璧な男過ぎて面白くない。女心が解らないところ、時々すごく落ち込むところ、熱くなりやすいのに決して強くないところ、私の駄目なところは全て源吾に反映されていると思います(笑)。
 「九紋龍」でもそうだったでしょ? 恰好つけて啖呵を切って大喧嘩を始めるものの、ものの十秒ほどで皆に踏みつけられてる……(笑)。皆さんお気づきだと思いますが、源吾の腕っぷしは並なんです。では何故、一巻で秀助に致命傷を与えられたのか。このあたりも実は後々にお話を用意しています。


好きか嫌いかの二択しかない!

たしかに剣も強ければ完璧なのになぁ、と思うこともありますね(笑)。完璧超人みたいで面白くないかもしれませんが……。明和の大火やぼろ鳶組の方角火消の配置転換などは、実は実際にあった事柄です。歴史的事実に忠実であろうという特別な意識をお持ちなのでしょうか?

 これに関しては、こだわりあります。
すごく簡単に言うと、歴史にある程度忠実なのが歴史小説、時代背景を借りてフィクションが多いのが時代小説。しかし私が子どもの頃は「歴史小説」と「時代小説」の区切りは今ほど明確ではなかった。読者の頃は私もいちいちそんなこと考えてなかったです。
 しかし今は、何でもジャンル分けをしたがる世の中になってきているようで。私は作曲もしますが、音楽の世界でも「あれはHIPHOPではない」「レゲエというものは……」などと、とにかくジャンル分けをしたがる。それぞれのルールを受け継ぐことは重要だとは思いますが、受け手である人々にとっては詰まるところ「好き」か「嫌い」の二択じゃないですか。
 じゃあ気にせず好きに書いたら?と言われそうですが……すごく乱暴な言い方になりますが、癪に障るんですよね(笑)。 「歴史を勉強してないのだろう」と言われるのが。ちょっと偏屈ですかね?

まぁ、どっちが上とか下とか無いですよね。人の心を動かす面白いものになっているかどうかが問題で……。とはいえ時代考証やつじつまはちゃんとしてなきゃですが。

 私は池波正太郎先生を尊敬しているのですが、今でいうところに時代小説である鬼平犯科帳にも歴史的な事件としてあった「葵小僧事件」が出てきます。一方で歴史小説にあたる真田太平記にもフィクションがある。歴史的事実という枷が、より面白いフィクションを生み出す鍵になっていると最近では感じています。
 ちなみに私は歴史小説も書きます。むしろ羽州ぼろ鳶組を書くまで、時代小説を書いたことはなかったんです。多少違うところもありますが、書き方の基本というか、自分の中では何も変えてませんね。

なるほど。では、ガラっと質問を変えて…。幼少期はどんなお子さんでしたか? いつ頃から作家になろうと思ったのでしょうか??

 子どもの頃から絵本が好きで毎日読んでいました。小学生の頃には歴史に興味を持ち始め、一番初めに読んだ歴史小説が「真田太平記」だったのですから、今思えば何故その大長編から入ったとツッコミたくなります。これが小学校五年生の頃。そこから大人に勧められて司馬遼太郎先生、藤沢周平先生、いわゆる「一平二太郎」を読み漁るように。

シブいですね(笑)

 中学生の頃には読む小説が無くなってきて池波先生のエッセイである「男の作法」なんて読んでいて、「なるほど、俺は寿司屋で醤油を紫なんて呼ばないようにしよう」なんて決めていました。それなので私は今でも、お寿司屋さんで「お愛想」と言わず「お会計」と言いますし、生意気にも旅館に泊まれば例え少額でも必ず仲居さんにチップを渡す。池波先生の教えに忠実にしてます(笑)。
 この三人の先生方は私が中学生までにお亡くなりになりました。もちろん、他にも素晴らしい先生方がおられ、欠かさずに愛読している作家さんもおられますが、幼年の頃に受けた衝撃というのは強烈だったのだと思います。最後に藤沢先生が亡くなられた時、「もう新しい作品は読めないのか」と、すごく動揺してしまいました。
 その時、私の脳裏にふと、とてつもなく無謀な考えがよぎりました。「じゃあ、俺がいつか書こう」と。続編という意味では当然ないし、御三方の技量には一生掛かっても追いつけないと思います。でも読者として熱くなったあの感情を、自分自身が書いて感じられないかと考えたんです。
 高校生の卒業アルバムの将来の夢の欄には「小説家」と書いたものの、日々の仕事に追われていて、いつか書こうと思って何一つ書いてきませんでした。三十歳を迎えた時、「このままでは四十歳になっても同じことを言ってるやろな」と思い、思い切って転職して書ける環境を整えて小説に没頭したという訳です。


戦いの相手は「絶対無理」という言葉

孔子じゃないですけど、三十にして立ったんですね。では次に、ご執筆が中心とは思いますが、プライベートではどんな趣味をお持ちなのですか?

 私の風貌をご存知の方もおられると思いますが、歴史時代小説家っぽくないです。髪型はツーブロック、ネックレスに、耳にはピアス。書店員さんにも「今まで見た作家さんで一番ギャップがありました」と言われました(笑)。
 どちらかというと厳めしい顔で大酒呑みに思われがちなんですが、実は下戸でしてお酒を一滴も呑みません。それなので呑みに出るということもないのですね。ちなみに、弾馬を書く時は父親の酔い方を参考にしてます。
 趣味らしい趣味は元の仕事でもある音楽ですかね。ギターやピアノを弾いて楽しんでます。あとはこれも見かけによらずですが結構料理もします。得意なのは春キャベツのハンバーグ、揚げ出し豆腐、紫蘇味噌のミルフィーユとんかつ、南瓜の炊いたん等(笑)。
 男の割に料理の手順にも詳しいかと思いますので、深雪が作る料理にも生きてると思います。
 専業作家になってからは、あまりにも家にいる時間が長いので、最近ではせっかく琵琶湖がそこにあるのだから、水上バイクの免許を取ろうかなと画策中です!

おぉ、水上バイクは似合いそう (笑)。それでは最後に、千羽一家や一橋との対決など、まだまだ楽しみなことが多いシリーズです。この先の展開を少しだけ教えてください。

 先ほども言いましたが、多少の変更はあるでしょうが、この物語は作中の何年にどのような結末で終わるのか、最後までおおよそ決めています。近著では「鬼煙管」も結末は一作目の「火喰鳥」を書き出した頃には決めていたので、少しは成長しているであろう来年の自分に表現を託しました。私は今後もシリーズはこのスタイルでいくつもりです。最後まで決めているということで、壮大な伏線を張ることが出来るという強みもあります。

たしかに、情報量は豊富ですね。そして、どこが伏線なのかは編集でも判断つかないという……(笑)。

 五巻「菩薩花」までで全ての伏線はばらまいたつもりです。これをゆっくりと回収して最後まで書き続けていきたいと思っています。
「こうなるのではないか」と様々な予想を立てて楽しんで下さっている読者の方もおられるようです。中には「ちっ……よく気付いたな」と、内心では焦っているものもあります(笑)。でも同時に「絶対にこれだけは解らへんやろ」と自信を持っている伏線もありますので、楽しみに最後まで付いて来て下されば光栄です。
 この先の展開ということで、ほんの少しだけ。十巻までは細かくもう決めています。その中では「新之助ファン必見!」の巻もございますので、新之助ファンは乞うご期待です。 
 そしてぼろ鳶組「十一作目」が私の中では一つのターニングポイントだと思っています。
最後にどうしても言いたいこと。私は「書いている」のではなく、「戦っている」つもりでこの作品に向き合っています。戦いの相手は「絶対無理」という言葉に対してです。
 私が「夢は叶う」と作家を志した三十歳の頃、「今さら夢なんて」「そんな綺麗ごと」だと多くの人に笑われました。私は運が良かっただけかもしれません。でも始めなければ1%も作家になれる可能性はありませんでした。
 この物語は「ある男の再生の物語」です。それは源吾であり、私であり、男女問わずに読んで下さっている読者の方々であればこれほど嬉しいことはありません。「ぼろ」になっても、人は何度でもやり直せる。そう願いを込めて書き綴っています。
このシリーズを終えた時、私も胸を張って「作家になれた」と言えるような気がしています。だから必ず最後まで書き上げます。どうぞ松永源吾という人間臭い男に、声援を送ってやってください。ありがとうございました。