「風の市兵衛」誕生秘話
辻堂魁先生特別インタビュー

プロフィール

1948年、高知県生まれ 。京都工芸繊維大学中退。早稲田大学第二文学部卒業。出版社勤務を経て執筆業に入る。2010年に『風の市兵衛』が発表されるや、主人公で渡り用人の唐木市兵衛が、算盤を片手に生計を立てる飄々とした姿と、〈風の剣〉でか弱き者たちのために一途に戦う姿が、圧倒的支持を得てシリーズ化される。2017年には作家生活10周年を迎え、「風の市兵衛」も20作を超える大ヒットシリーズとなる。翌2018年には、唐木市兵衛の新たな魅力と今まで明かされてなかった秘話を解き明かすために、新展開「風の市兵衛 弐」が新シリーズとしてスタートするなど、ますます精力的に執筆活動を続けている。主な作品に「日暮し同心始末帖」シリーズ、「夜叉萬同心」シリーズ、「仕舞屋侍」シリーズほか。


『風の市兵衛』を執筆するきっかけを教えてください。

作家になる前は出版社で働いていました。当時は純文学のようなものを書いては新人賞に応募していましたが、まるで駄目。歳をとり定年退職が近づき、作家にはなれないだろうと諦めていましたが、文章は書いていました。その頃、たまたまのぞいた書店に、佐伯泰英さんの本が山のように並んでいるのを見て、時代小説の文庫書き下ろしというジャンルを知りました。我々の世代は時代劇が盛んだった時代に育ちましたから、知識はあります。それで、描いてみたのが『夜叉萬同心 冬蜉蝣』でした。しかし、1年くらい経って、注文はほとんど無い状態が続き、そこで、営業に行ったのが、書き下ろし時代小説を数多く手がけている祥伝社だったんです。そのとき、いくつかの企画を考えている中で選ばれたのが『風の市兵衛』でした。


剣の達人で算盤の練達という唐木市兵衛の人物像はどのようにして生まれたのでしょうか。

私たちが生きている現代の問題をテーマの中に盛り込んだ時代小説にしたいと思っていました。それならば、渡り用人がいいと思ったんです。武家の台所事情を管理していた用人役に町人が雇われるということがありました。以前から江戸時代の武家のそういうやり方にとても興味を持っていました。様々な身分の武家の家で働くのです。表に出ない問題は山積しているはずですから、それを目の当たりにすることでしょう。しかも、仕事中は二刀の帯刀を許されていたんです。これを、武士に置き換えたらどうなるか。なにか理由があって武者修行の旅に出た武家が、行く先々で剣だけではなく、町人が学ぶような生きるための仕事を覚え、仕事の腕前で生計を立てていくとすればどうなるか。描きたいテーマやストーリーは沢山ありましたから、主人公をそこに送り込み問題解決にあたらせたら面白いのではないかと思ったのです。言い方をかえると、ある人物を描きたかったというより、あるシーンを描くのに必要な人物を考えたといったほうが近いでしょうか。剣の達人で算盤の練達という設定は、そんな試行錯誤の中から生まれました。


「風の市兵衛」シリーズの剣戟シーンは定評がありますが、市兵衛の必殺技〈風の剣〉とはどのような剣ですか。

子供の頃観ていた映画やテレビ番組には、風を使った必殺技が数多くありました。それで風のイメージが強く刻まれていたのでしょう。私が目指しているのはリアルな剣です。一撃必殺の剣ではなく、必死に戦う剣ですね。〈風の剣〉は型ではなく、戦いに臨む心構えのことです。勝つために必死になる姿です。そういう意味では、剣は使いませんが、殴り合いや取っ組み合いも戦う姿です。縦横無尽な攻撃をたくさん描いて、読者にハラハラドキドキを楽しんでもらいたいです。


物語のもうひとつの魅力に市兵衛を支える人物たちがあると言えますが、他の登場人物はどのように生まれましたか。

根底にあるのは、市兵衛が動きやすくなることです。それを踏まえて大切にしたのは見た目です。市兵衛が涼やかな人物ですから、脇役は個性的でなければなりません。たとえば、「鬼しぶ」こと渋井鬼三次は目的のためには手段を選ばない正義漢だが、普段は滑稽さやおかしみを前面に出している。返弥陀ノ介は強さと怪異さの象徴であり、兄信正と市兵衛とを繋ぐ公務員。この二人は描いていてとても楽しいです。ヒロインがいないのは、市兵衛に対抗できるほどの何かを持つ女性がストーリー上必要がなかったから。必要になれば生まれてくるかもしれませんね。


読者の方々に、特に意識して読んでいただきたいところはありますか。

世界中の観客に楽しんでもらえるようなエンターテインメントを目指しています。ストーリーはもちろんですが、こだわりたいのはセリフです。たとえば裁判劇などの比較的動きの限られた題材を、セリフにアクションの要素を加えることで、より緊張感を膨らませストーリーにのめり込んでもらいたい。セリフのやりとりだけで人間の様々な感情を表現してみたいと思います。


シリーズも20巻を超え、新たに「風の市兵衛 弐」が始まりましたが、これからの展開はどのようになるのでしょうか。

おかげさまで「風の市兵衛」シリーズも20巻を超えることができました。その間に市兵衛は謎多き己れの出自と運命を前に、13歳で奈良の興福寺へ自分を見つめに旅立ち、いま、40歳となりました。そして、21巻目となる『曉天の志』からは、「風の市兵衛 弐」として、あたらしい章へ入ります。この作品で市兵衛は、40歳にしてふたたび自分を探すために奈良に向かいます。新しい登場人物や運命が市兵衛の前に立ちはだかってくることでしょう。これからの市兵衛の活躍に、よりいっそうの応援をよろしくお願いいたします。